sikatari04’s diary

施工図面屋さんの子育てブログ

親の高齢化と痴呆と今後【第2回免許の返納どうしますか?】

車景色

親の高齢化について…

高齢の親を持つ世代として、色々準備した(していく)事をご紹介します。

第二回は【親の運転免許証の返納を考える】

これについてお話をしていきたいと思います。

最近ニュースでもこの手の話は良く見ますよね。

私の場合、単純に親の高齢化だけでなく、痴呆ととれるような事案もあったりして、最終的に父親は返納、母親も今年の4月に返納という形になりました。

 

 

免許の自主返納という考え方への違和感

私は、免許がもう運転出来ないかなという自己判断での返納が主となり、高齢者講習での足切りがかなり甘いのではないかと感じています。

免許自体が他社から認可を受けて発行されるものである以上、免許を持つに足るか否かの判断も他社が行うべきであると思っているタイプです。

 

71歳以上の方は3年の有効期限で発行されますが、高齢者講習とセットです。

75歳以上になるとこれに認知機能の検査が加わります。

 

この有効期限と講習、検査が適正なものかどうかは分かりません。

ただ、適正検査などで点数が低かったとしても、これとこれを追加で受ければ等どうにか合格にするための手段が多く準備されているという印象を受けます。

 

高齢者の方は運転するなと言いたいわけではなく、

車は凶器になり得るという認識のもと、しっかりとした試験での合否判断をするべきという感じです。

車が無いと生活出来ないなど、各々事情があるとは思うのですが、

冷たい言い方になるのですが、試験というのはそういった各人の事情を排除して、結果のみ見るからこそ意味あるものになり得ているはず…

 

単純に願うのは、制度としてこういう状況になったら免許は発行しないという明確なラインを設定してほしいということ。

万人が納得する落とし所なんてきっと無いでしょうから、示されたラインがそういう物だと思われる様になるまでは時間が解決してくれるのを待つしかないのですが…

 

自主返納という制度自体は賛成です。

ただ、私が感じる違和感として感じているのは、

免許は取り敢えずずっと持っているけど、自主返納という手段で返すことが出来る的な位置付けではなく

免許は厳正に審査して持つことが許される物であり、それ相応の審査で失効させるべき物でもある。さらにその穴を掻い潜った場合を補完するために、自己判断や周りからの助言による自主返納を設ける。

こんな感じがあるべき姿なのでは?と思っています。

 

自分でも中々に辛口意見かと思いますが、

私の父親の免許返納に際して、現状の制度での不満点が多くあり、このような考え方に行き着きました。

次は何故このように考えるようになったかのお話。

 

 

父親の免許返納まで

父親に免許を返納させるべきと思ったのは、いくつかの事故がきっかけでした。

 

ある日実家の駐車場に停まっていた父親の車のサイドミラーが片方折れていることに気付きました。

何で?と思い、父親に確認。

すると対向車線のトラックがセンターラインをはみ出した時にサイドミラーをぶつけられたとの事。

 その時はへーっと何も思わずだったのですが…

 

別の日に父親の車の後ろについて行く機会があり、

後ろからついていきながら、これは何かおかしいぞ?

と不安を感じてしまったことがありました。

 

それがこの2点。

・ブレーキングポイントが毎回変わる。

・蛇行とまではいかないが、運転によれを感じる。

 

単純に後ろからついていってみたときに、何か気持ち悪いんです…

違和感が凄いというか…

母親にも聞いてみると、やはりブレーキングが何か変な感じがすると。

 

ここで父親に運転がおかしいぞと進言。

そんなことないし、大丈夫と一蹴されました。

 

しばらく何事もなかったのですが、ある日実家に寄ると、

つい先日警察が実家まで来て、聞き取りを行っていった都の話が…

何の件?と聞くと…

道路上の一時停止のポールを父親の車がぶつかって倒してしまったという話。

なんてこった!!…てかそれってどうなるの?と思っていたのですが、

厄介なことに父親は「私はぶつかっていない!」と主張。

いやいや、証拠があるから車を特定して実家まで来たんでしょ?と言いましたがそれでもぶつかっていないと主張…

もしも、もしも本当にその事を覚えていないのだとするとそれはそれで大問題!

 

標識は一先ず弁償することで落ち着きましたが、

家族全員で免許返納を迫りました。

父親は釣りに出かけるのが好きで、通勤も車でした。そのため車の無い生活がイメージ出来なかったのか、返納に反対。

少し前に受けた更新の際の高齢者講習も全く問題なく通ったのだから心配ないと制度を盾に反対を主張しました。←これ制度の暗部だと個人的に感じてしまいました。

 

そのままずるずると数ヶ月がたったある日、母親から実家まで来てくれないか?と連絡があり伺うと、

父親の車のバンパーがバリバリに割れていました。

正確な所はわからないのですが、我が家のお墓の駐車場でのアクセルとブレーキの踏み間違いが一番濃厚そうという結論。

 

急いで家族全員で集まり

・もしも対人だったら取り返しがつかないこと

・誰かの命、自分の命を奪う可能性が大きいこと

・家族の生活も全てダメになってしまう可能性があること

 

を切々と話し、その日に免許を取り上げ、後日返納しました。

本人が納得していたかはもう関係ありませんでした。

 

返納したときの率直な感想はほっとしたに尽きます。

ただもっと早く判断できる機会があったことは反省し、高齢者の免許更新の甘さも同時に実感しました。

 

そして来月に、父親のそういう姿を見てきたからなのか、母親も免許を返納するとの事。

 これで私の両親が車を運転することはなくなったのですが、本当に人に危害を与えなかったことは幸運中の幸運だったと思っています。

 

もしも親の運転に不安を抱いたら

車は本当に便利です。

身分証の代替としては他にも色々ありますが、運転が生活の一部となっている人にとって返納はかなりハードルが高い物だと思います。

 

だからこそ、試験による免許の失効という第3者判断がある程度厳しくなければならないのではないかと私は思っています。

 

もしも身近に高齢になってきて運転が大丈夫かなと思う人がいたら、一緒にいるものだこんなことを考えてみてはどうでしょうか?

・運転に同乗してみておかしなところが無いか確認する。

・返納という手段を提示し、車が無い生活を一緒にシミュレーションしてみる。

・車から代替出来ることから変えていき、車の重要度を下げるようにしてみる。

 

それでも意固地な人はきっといます。最後まで事故を起こさず問題ない自動車生活を今後も送るのかもしれません。

ですが起こしてしまってからでは全てが遅いのです。

 

強硬手段を取ること自体はお勧めしませんが、しっかりと見てあげて、可否の判断を本人以外が行うということは悪い事では無いと思います。

※ただ思いやりを持って事に当たってほしいなとは思います。

 

我が家ではここまでいって、ようやく返納という形を取れましたが、

皆さんの周りで気になる人がいたら、一度話し合ってほしいなと思います。

 

被害者も加害者も関係者も全ての人が不幸になるのが交通事故です。

無慈悲かもしれませんが制度の厳格化と、1つでも不幸な事故が減ることを祈っています。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

それではsikatariでした。

 

▽第1回実家の話はこちら▽ 

sikatari04.hatenablog.com